映画「海獣の子供」感想と考察。海は産み親、意味は?

2019年6月20日

映画「海獣の子供」を劇場で観てきました。
鑑賞後すぐには声も出せないほど、深く心に訴える作品でした。
うまく表現できませんが、拙い感想と、私なりに作品について考えてみました

映画「海獣の子供」を観た感想

映像に圧倒された

映像と音に圧倒されました。
劇場には小学生くらいの子供さんもいたのですが、一言の声も発さず見入っていて、上映終了後、会場が明るくなっても、しばらく誰も席を立てないほどでした。

主人公の琉花が日常生活している街や学校の風景も、手触りや風雨にさらされた質感が感じられましたが、水中の描写がすごかった!

流れていく泡や生き物、波を描いた場面では、昔自分が海や川で水中に潜って遊んだときのことを思い出し、肌感覚までよみがえりました。

感性で観る物語

映画「海獣の子供」のストーリーを、琉花が体験した出来事だけで追ってしまうと、ありふれた物語になってしまいそうです。

ですが、琉花と海くん・空くんとの間の言葉を使わない交流は、クジラの「ソング」のようにものすごくたくさんのことを伝えあっているのではないかと感じました。

海くんと空くんが琉花を海中へ導き見せてくれる景色やたくさんの生き物、飛ぶように泳ぐ姿、波打ち際の音がもたらすメッセージを、琉花は自分の手で肌で目で触れて観て聞いて感じ取っていきます。

人が本来持っている感性で受け取れるはずのたくさんのことを、現代の人は気づくこともなく通り過ぎています。
水や風が届けるたくさんの秘密を受け取る方法を思い出すように、琉花がどんどん本来の姿になっていくように感じました。

琉花の視点を追い、3人と行動を共にすることで、人がみんな持っている本来の感性が目覚めるような体験でした。

原作を読んでいるファンの方からは、原作に描かれている神秘的な内容や登場人物の背景が描かれてなくて物足りないという声もあるようですが、監督の渡辺歩氏は原作の物語全てを2時間の枠におさめるのは無理!と判断して、琉花をメインに据えた視点で描いたようです。

琉花の成長の物語になっている、という意見もありましたが、私は、琉花を通して人が本来持っている宇宙=海=すべての生き物の記憶とつながる体験を描いた物語だと思いました。

鑑賞はエンドロール後まで!

私が鑑賞したときは、米津玄師さんの歌声を聴きながら心地よいエンドロールの最後まで、観客の誰も席を立たなかったのですが、エンドロールの後にもう少しだけ映像が入ります。

エンドロールの後、劇場が明るくなるまで余韻に浸りつつ最後の映像も見逃さずに観てほしいです。

考察

※この考察はネタバレを多分に含んだ、筆者の個人的な解釈です。

「誕生祭」とは何だったのか?

長髪の海洋生物学者・アングラードは、ザトウクジラの歌う「ソング」を星が死ぬ音だと説明します。

星が死ぬ音で集まった生き物たちが「誕生祭」を行う。これは、星の誕生の祭りだったのではないか?と思います。

遠い宇宙で死んだ星、そして地球の海で生まれる星、星は海であり宇宙であり命。
それらは隔たりがあるようでいて全てつながっているということだと思いました。

隕石を飲み込んだ琉花と海の差はなぜ?

琉花は隕石を飲み込み、お腹から海=宇宙を生み出しました。

海くんは隕石を飲み込み、たくさんの光になって消えました。

琉花は女性であり母であり、隕石を種として宇宙と海をつなぎ命を生み出す器となったのだと思います。

対して海くんは男性であり、隕石を宿す琉花の光の玉に入っていった海くんはさながら卵子にたどりついた精子のようでした。

生み出す器としての女性の体と、記憶という種を蒔く男性としての体、琉花と海くんの違いはここにあるように思います。

光は何なのか

空くんが琉花に記憶の話をしたとき、人の中にはたくさんの断片的な「記憶」があり、それらが集まって「意識」になると言っていました。

私たちが普通「記憶」と呼ぶものは、今もっている肉体で経験したことですが、空くんの説明する「記憶」は他のたくさんの宇宙や命の記憶が断片的にたくさんの命の中に入っているというものです。

私はこの物語の中に登場する光が「記憶」を表すものだと思います。

一つ一つの光が「記憶」でその断片が集まったものが「意識」や「意思」であるならば、それらは誰かへのメッセージとも理解できます。

その意味では、光っている命には受け取ってほしい「意思」「意識」があると捉えれば、海くんが琉花に、光るのは見つけてほしいからだと説明したことも納得できます。

また、空くんや海くん、琉花が子供の頃に見た海の幽霊の光は、一つの肉体という器の中にあったたくさんの記憶の断片が、肉体から離れて散らばる様子だと思いました。

琉花から取り出した隕石を飲み込んだ海くんから出現して散らばった光もまた「記憶」だと思います。
海くんの中にあった記憶は、たくさんの光の種となって他の命に取り込まれ、継がれて行きます。

琉花が海くんから飛び出た光をひとつだけ握りしめ、目覚めたときに食べたのは、海くんの記憶を自分の一部にするための動作だったのでしょう。

「命を断つ感触」琉花が断ったのは何?

母が出産したとき、琉花はへその緒を切る役割を任されます。

へその緒を切ったとき、琉花は「命を断つ感触がした」とつぶやきますが、これはどういう意味なのか考えてみました。

母の子宮=海、海=宇宙と考えるならば、子宮から切り離されることは母なる海への別れという解釈もあります。

が、もっと単純に。
出産経験のある私としては、母とつながっていたへその緒を切ることで、ひとつだった命がふたつになる、ということと感じました。

命を断つというよりは、命を分かつという意味にもとれるのはないかと思います。

「海は産み親」どういう意味?

映画「海獣の子供」で繰り返し出てくる詩のような言葉があります。

星の 星々の
海は 産み親
人は 乳房
天は 遊び場

「誕生祭」で、隕石を飲み込んだ琉花のお腹からは海が湧き出しました。
湧き出した海は光を放ち、広がり、宇宙へつながり、星が生まれました。
海は記憶を抱きながら、新たな星の生まれる源でもあるということでしょうか。

乳房は命を育てる栄養ですよね。
人が乳房であるならば、人とは生きている間にたくさんの経験を通して記憶をつなぎ、新たな記憶を作っていくことが、星を育てることになるのかなと思いました。

天は遊び場、これはちょっと意味がわからなかったのですが。
海くんと空くんの様子を見ていると仲良くじゃれあって交流している姿がとても微笑ましく楽しそうでした。
同様に、ジュゴンの親子が体をすり合わせながら泳ぐ姿もまた、あたたかく楽しそうでした。

天は星々が互いの記憶を交流させるところなのかもしれません。

まとめ

私なりに言葉にしてみたつもりですが、読み返すと映画「海獣の子供」をわずかも説明できていないような気がします…。
うまく説明できなくてもどかしい!

映画「海獣の子供」は、受け取る人の感性で評価の分かれる作品だと思いますが、個人的にはもう一回劇場で観たいくらい素敵な作品でした。

映画「海獣の子供」は6月7日(金)から劇場公開されているので、短くても7月上旬、長ければ夏休みの始め頃まで上映されると思われます。

ぜひとも劇場の大きなスクリーンと音響で観ていただきたい作品です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

◆映画◆,

Posted by ゆえ